2011年08月26日

未定を採用













前回の予告どおりというか・・・

またまた引き続きというか・・・


ここ最近ほとんどず~っと

「美のあり方」

について様々に持論(自論)を展開してきましたが、

よくよく考えてみれば

(これも以前にどこかで記述したことですが)

「この世に中に完璧なものなど存在しない」

「少しくらい不完全な方がちょうどいい」

と言うような見解もあるので、

これも前回に記した事に立ち返ると

「違和・不和を削減して美を追求する消去法」

とは、突き詰めれば突き詰めるほどに矛盾が生じ

もし100%完璧に、完全に淘汰出来ると仮定して

全ての違和感を失くしてしまえば、それこそがまさに

「違和感のない違和」

ではないのか、という齟齬にブチ当たってしまいました・・・。


適当に言いくるめるつもりが

結局また長々と長引いてきたんで

これまた次回にテーマを持ち越し

「違和感の消去法」

について切り込んでいきたいと思います。


ちなみに、この考察自体がそうであるように

”100%完璧に、完全に淘汰出来る”ことはまずないと

我々なんかは思うわけで、だからこそ

飽きることなく満足することなく延々と創作に打ち込み、

理論や哲学の”イタチゴッコ”を繰り返してしまうのかも・・・。




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Posted by abo at 20:47│Comments(0)核言
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