2011年07月24日
成長の真偽
大
ら
か
な
人
で
あ
り
た
い
・・・「大人について」の”三部作”・・・
コレ自体も不可思議な試みのような気もしますが
それでもやはり追求せずにはいられない、
「人はなぜ、何のために大人になるのか?」
ごく当たり前の事を今さら突き詰めて考えるのは
余計に小難しくナンセンスにも感じますが、
こういう衝動さえも人間特有の性質と言うか
子どもの頃からの好奇心か、はたまた探求心が
身体的に成長してもなお延々と続いているからこそ
”大人と子供の境目”を
イマイチあやふやにしているようにも思えるのです。
「もう大人だから~」とか、「まだ子供だから~」ではなく、
”一人間として”を基準に考えたとき、
社会的責任も含めての、だからこその個人の権利であり
また、それが存在意義でもあると見解できるはずです。
このようなボキャブラリーを得たという意味では
もちろん成長していると言うか、習得の域ですが、
考え方自体は昔からほぼ変わっていないような、
やはり内面はそうそう変われるものではないと、
精神構造においての”大人”という定義は
当てはまらないのかもしれない・・・。
結局なんの答えにも成らないので
「大らかな人でありたい」という別の捉え方で
単なる”理想”や”願望”にしてみたのですが、
それでも一つオチをつけるとしたら
「大人ってなんだろう?」って、”それ”を考えた時点で
僕らは既に大人なのかもしれない・・・。
(あとは人それぞれってことで・・・。)
Posted by abo at 01:00│Comments(0)
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